奈良県大和高田市近在の古刹④~岡寺~ 21/05/29
「HIDEGLORYの空き家再生賃貸住宅シリーズ第5号物件」の所在する奈良県大和高田市からは、車で小1時間程度。奈良県高市郡明日香村には、紀元6世紀から7世紀にかけて花開いた「飛鳥文化」を代表する古刹・古社・古代建造物などが多数所在します。
そのうちの一つ「岡寺(おかでら)」は、明日香村の東部にあり、観光地としては地味ですが魅力にあふれる名刹です。

出典:明日香村オフィシャルホームページ( https://asukamura.com/ )
岡寺は奈良県明日香村の東、岡山の中腹に位置しています。
『岡寺』という名は地名に因る名で正式には、
山号は東光山(とうこうさん)
院号は真珠院(しんじゅいん)
法名は龍蓋寺(りゅうがいじ)
となり『東光山 真珠院 龍蓋寺』となります。
しかし古くからこの土地の名から『岡にある寺』=『岡寺』として親しみもこめて呼ばれており、現在でも正式名の『龍蓋寺』よりも『岡寺』と呼ばれています。
真言宗豊山派に属しており西国三十三ヶ所観音霊場の第七番札所です。
また日本最初やくよけ霊場としても知られています。
出典:明日香村オフィシャルホームページ( https://asukamura.com/ )

出典:明日香村オフィシャルホームページ( https://asukamura.com/ )
重文 塑造 如意輪観音坐像
日本三大仏・日本最大の塑像。
本堂には、奈良時代末の制作にかかる巨大な如意輪観音座像が本尊としてまつられています。如意輪観音の最古の遺例としても重要視されており、塑像(土でできた仏像)としては日本最大の仏様で、日本三大仏にもあげられており、重要文化財に指定されています。
日本三大仏とは、銅像の東大寺 毘盧遮那仏(奈良の大仏)、木像の長谷寺 十一面観世音菩薩、そして塑像の岡寺御本尊です。
寺伝によると弘法大師が日本・中国・インド三国の土を以って造られ、それまで本尊とされてきた金銅如意輪観世音菩薩 半跏思惟像(重要文化財)を胎内に納められ本尊とされました。
本尊の高さは4.85メートルにおよび、通常は平安時代以後に、密教の流入に伴って流布した六臂(六本の手を持つ)で、片膝を立てて思惟する像容が多いのですが、岡寺本尊は二臂(二本の手)で、右手は施無畏、左手は与願の印を結んで、結跏趺坐をする姿をしています。しかし台座内部の調査結果から、当初は左足を踏み下げて坐る半跏像であったと推測されています。同様のお姿の如意輪観音は少なく、大変貴重な仏様とされています。
出典:明日香村オフィシャルホームページ( https://asukamura.com/ )

出典:明日香村オフィシャルホームページ( https://asukamura.com/ )
史物語として有名な『水鏡』は内大臣中山忠親の作といわれ、鎌倉初期になったものでありますが、その書き出しに
『つつしむべき年にて、すぎにしきさらぎの初午の日、龍蓋寺へまうで侍り・・・』
と、厄年(つつしむべき年)の時の二月(きさらぎ)の初午の日に岡寺へお参りするとよいと書かれており、当時すでに『岡寺 厄除 参り』が定着していたということがわかる文献であり、その事から日本で最初の厄除け霊場であるといわれています。
岡寺の名前の由来、開祖 義淵僧正が民を苦しめていた悪龍をその法力を持って寺の池に封じ込め、厄難を取除いた所から岡寺が『やくよけ』の霊場になった所以の1つとも伝わっています。
今でも毎年、お正月から2月、3月の初午の日にかけてたくさんの参拝者が厄除まいりをされます。
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