律令制下(奈良時代/平安時代)の千葉県市原市 20/09/19
千葉県市原市は、律令制下(奈良時代/平安時代)においても、上総国の政治/行政/文化の中心地であったようです。
上総国府の所在地は、いまだ諸説があり定まっていません。しかし、平安時代に編纂された『和名類聚抄』(辞書)には、「上総國國府在市原郡」とあり、古代~中世において、市原市に上総の国の政治的な中心となる国府が置かれていたことは間違いありません。
引用元:市原市ホームページ https://www.city.ichihara.chiba.jp/index.html
現在の市原市役所のある国府台のあたりが、上総国国府の所在地の有力候補と言われているようです。
平安時代の中ごろに、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)によって著された代表的な日記文学『更級日記』にも、現在の市原市のことが記されています。
更級日記は平安時代中頃に、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)によって記された回想録です。日記の冒頭部分は、上総国司である父の任期が終わり、上総国府のある市原市から平安京へと帰る場面です。この時が寛仁4年(1020年)であることが分かっており、2020年は菅原孝標女が帰郷して千年の節目に当たります。
引用元:市原市ホームページ https://www.city.ichihara.chiba.jp/index.html

市内では、「更級日記千年紀」を記念する各種行事が企画されています。
律令制下の各国では、「国府」と「国分寺」及び「国分尼寺」がセットで設置されていました。市原市には、「国指定史跡上総国分尼寺跡」が所在しています。
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